2025年10月

遅くなりましたが今月の法語掲示板の紹介です
今月は若院選筆です

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今月の言葉は七高僧の一人、道綽禅師の著書「安楽集」から選びました。この言葉は親鸞聖人がその著書「教行信証」に引用しています。親鸞聖人は法然上人と出会い、念仏の道を進み始めました。それ以前には七高僧がいて、親鸞聖人はそういった先人たち仏教を依りどころとして生きることの大切さを呼びかけられ、導かれていったのでしょう。だからこそ親鸞聖人はそのことを私たちに伝えるために、教行信証という長い長い著書の中で、その最後の方にこの言葉を引用したのではないのでしょうか。
もうすぐ報恩講の季節です。私たちも報恩講をきっかけに親鸞聖人の歩まれた仏道を訪ねていきたいですね。

2025年9月

こんにちは
9月になりましたので法語掲示板の今月のことばを更新しました
先週テレビでジブリ映画「もののけ姫」が放送されていましたが、今回はその作中に出てくるセリフです

生きることはまことに苦しくつらい
世を呪い、人を呪い
それでも生きたい

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作中に登場する、製鉄を生業とする集落
そのはずれで全身に包帯を巻いてひっそりと住み、石火矢作りを担っている人々はハンセン病患者であったと言われています
これは、その人々の長、もう寝たきりなったであろう老人のセリフです

宮崎駿監督は実際に彼らがハンセン病患者であると明言してはいないのですが、もののけ姫の製作中にハンセン病療養所の多磨全生園によく訪れ、園の中の納骨堂に参っていたようです
この納骨堂には、園で亡くなった方のお骨が納められています
差別に苦しみ失意の中で亡くなった人、病が治っても帰る場所がなく孤独に亡くなった人
そういった方々に思いを馳せながら、監督は石火矢作りの人々を描いたのではないでしょうか

生きているだけで身体は病に蝕まれ、世間からはその見た目で忌避される
何もかもを怨み呪った長は、どれだけ苦しくても「生きたい」という欲求は手放せなかった
彼だけではありません
生きたいのに苦しい、苦しいのに生きたいという矛盾は誰でも持ちうるものです
いのちの輝きというものは必ずしも美しいものではなく、そういった苦悩から生まれる側面もあるのでしょう
実際に患者と交流し、そして納骨堂に真摯に手を合わせた宮崎駿監督だからこそかける、重々しい言葉だと思いました

2025年8月

若院です
今月の言葉は、親鸞聖人の高僧和讃の天親和讃より抜粋しました。
今月の永代祠堂経ではこの言葉を題として少しお話をさせてもらいました。
本願力(阿弥陀様)に出会うことができたら、虚しい人生を過ごす人はいないと天親菩薩と親鸞聖人は言っています。つまり、南無阿弥陀仏を唱えている私たちはすでに阿弥陀様に出会っていて救われているはずです。この言葉が本当ならもう浄土真宗を学ぶ必要はないんじゃないかと思いますが、その事実を我が身で実感するのが難しい。私たちはすぐに阿弥陀様のことを疑ってお金や物に頼ってしまう。でもやっぱりこの言葉を聞いて、いつか阿弥陀様の救いをはい、その通りですと了解できる時が来るんじゃないかと思い続けながら勉強をしていきたいと思ってます。

2025年7月

こんにちは
7月になりましたので伝道掲示板を更新しました

真宗宗歌の歌詞に「みおやの徳のとうとさを」とあるように、阿弥陀仏の功徳はよく、子に対する親の愛に喩えられます
ひとりひとりの出来不出来に関わらず、無償の愛を注ぐ存在、ということですね

今月の法語は、そんな子育てにまつわる俵万智さんの短歌です

振り向かぬ子を見送れり
振り向いた時に振る手を用意しながら

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子育てをしていると子の成長の早さにいつも驚かされます
我が子も、ちょっと前まで泣きながら後追いしていた赤ちゃんだったのに、今ではそこかしこを走り回り、「待って!」と呼び止めても見向きもしなくなりました……

それでも親はずっと子供のことを見ているんですよね
朝、保育園に送り出すとき
いってきます!と先生のもとに駆けていく子の背中を、見えなくなるまで見守っていると、この歌を思い出します

いずれ思春期や反抗期を乗り越え、心身ともに成長して、親元を離れていってしまうときも、親はこうして子の後ろ姿を見守っているのでしょう
不安になって振り向いた我が子に、大丈夫だよ!と手を振るために

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先日の永代祠堂経法要のとき、掲示板を写真に撮った紙を拡大コピーして、若坊守の一口法話と題しましてこの短歌を紹介しました
法要の後、皆様お帰りになる中、一人の門徒さんが私のところに来られました
そして、ホワイトボードに貼った、短歌を印刷したA3用紙をさして「これ、もしよかったら頂いてもいい?」と
もちろん!と応えて少しお話すると、この短歌にいたく感銘を受けたようです
もうとっくに自立した娘さんたちの事を考え、色々と思い出してじんわりした気持ちになった、と話してくださいました

誰かから反応を貰うためにやっているわけではありませんが、こうやって、自分がいいなと思った言葉が他の誰かの心に届くと、紹介した甲斐があったと嬉しい気持ちになります

後で聞くと、その短歌の紙は額に入れてお家に飾ってくださっているようです
上手ではない字なので恥ずかしいのですが、心に残った言葉というものはぜひ大切にしていただきたいと思います

2025年6月

若院です

今月の言葉は、海勢頭豊さんの歌、「月桃」の最後の歌い出しから抜粋させてもらいました。
6月23日は僕の故郷沖縄であった地上戦が終戦した日で、沖縄ではこの日は慰霊の日として祝日となっています。月桃の歌は沖縄戦の犠牲者を悼み平和を願う歌で、毎年6月になると僕も小学校でみんなと歌っていました。今でも、曲を聴くと沖縄の初夏の頃を思い出します。戦後80年が経ち、戦争を経験した人も徐々にいなくなっていきます。だからこそ、今を生きる私たちは改めて、平和とは何か、戦争はなぜ起きてしまうのか、どうすれば戦争を防げるのかを考えたいですね。

2025年5月

「私たちの人生は、浄土で終わるのではなく浄土から始まるのです」

こんにちは
5月になったので掲示板の法語を更新しました
今月は中川皓三郎先生の言葉です

「浄土」とは仏様のいらっしゃるところですが、いわゆる「あの世」、人間が死んだあとに行く場所ではありません。
仏様は浄土に全ての人々の安らぎ、救いを求めました。そういう世界は我々の生きる現実と紙一重のところにあります。
浄土を見出すということは人間らしく生きるための価値観に立つということ。「生まれてきてよかった」「得難い人生だ」と自覚したときに初めて現れるのが浄土なのです。そして、人生らしい人生はそこから始まるのです。

2025年4月

若院です。今月の法語は、「蓮如上人御一代記聞書」より「そのかごを水につけよ、と。わが身をば、法にひてておくべきよし、仰せられ候う」です。

ある人が蓮如上人に、仏法を聞いている場では有難いと思うのですが、すぐに忘れてしまいまるで穴が開いたかごに水を入れたようなものだ」と相談しました。これ、私も心当たりがあり授業や法話を聞きに行ってるときは自分の人生についてめちゃくちゃ考えている気分になりますが、いざ家に帰って寝て起きて仕事をして子供の世話をしているとすぐに忘れて目の前のことに必死になってしまいます。そんなことがあるたびに、何とか仏法のありがたみを持って帰って日常に生かせないかなどと思ってしまいます。

それに対する蓮如上人の答えは「そのかごを水につけよ」というものでした。つまり、仏法を生活に持って帰ろうとするのではなく、生活を仏法で満たせと言っているのです。自分の心を穴のない立派なかごにできると思うから、なんとかしたいと相談をするわけで、そもそも我々の心は穴の開いたかごなのだからそれを自覚してそこに合わせた生活を送ることが大事かなと思いました。

2025年3月

こんにちは
3月になりましたので今月の法語を更新しました
今月は水平社宣言の最後の一文です

1877年、被差別身分を廃止する「解放令」が公布されましたが、実態として部落民への根強い差別は残ったままでした。
そして、それからおよそ50年が経った1922年3月3日、全国水平社の創立大会が開かれ、その時に採択されたのが、日本初の人権宣言といわれる水平社宣言です。
宣言では、差別に対する強い憤りと、差別のない世界を目指す決意が表れています。

いま現在、現代人にとって部落差別は、当時よりも縁遠いものになっているように思います。
しかし、完全になくなったわけではありません。
人の世の冷たさは今でも、様々な要因で人を差別し、排除しようとします。
だからこそ、私達は不断の努力で人々の間に熱を、光を灯し続けなければならないのです。

2025年2月

こんにちは
遅くなりましたが今月の法語です

「生きるということは、自分の思い通りになることを生きるというのではありません。思い通りにならないということがはっきりわかることです」
と祖父江文宏さんは言いました。重い病気に罹り、生きるということを自分に問いかけていた時の言葉です。
役に立つ・立たないという地平ではない。どんな命でも自ら光り、そして互いに輝かせ合う世界を、祖父江さんは見ていたのでしょう。
人を見定めて価値を見いだす現代社会の中、そのような無条件の価値観を忘れたくないものです。

2025年1月

若院です。
今年最初の言葉は、「蓮如上人御一代記聞書」より「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」です。当寺に深く縁ある蓮如上人の言葉より選ばせていただきました。
医療が発達し、食うものにも困らない人が増えてきた現代において、自分の人生に終わりがあることを意識することは難しく、ついつい明日もある、明日もある、と思ってしまいます。私もまだ30で普通に暮らしていると自分の人生の時間に意識が向かず、スマホをいじって無駄な時間を過ごしてしまうことも多いです。そんな時に、この蓮如上人の言葉にハッとさせられ、そのうちやろうやろうと思っていたこの法語の準備を年内に終わらせることができました。
しかしながら、人間はすぐ忘れるもので、今この瞬間は「明日と申すこと、あるまじく」と思い行動できていても、少し日が経てばまた無為な時間が増えてくるでしょう。だからこそ、何度でも何度でも仏法に耳を傾けなければならないのではないかと感じています。