2024年8月

今月の言葉は、『歎異抄』後序より
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」です。

この言葉は、阿弥陀如来の本願は、ただ自分一人を救うためにあったのだという親鸞聖人の感慨を表した言葉です。親鸞聖人は誰よりも煩悩具足の凡夫(煩悩をなくすことができない存在)であるという自覚をもっていました。そんな自分でさえも救われるのであれば、阿弥陀如来の救いは世界のあらゆる人に届くことが証明されたという喜びをこの言葉で表しています。

親鸞聖人は阿弥陀如来の救いは私たちも救ってくれることを明らかにしてくださいましたが、私たちはそのことを自覚できているのでしょうか?阿弥陀如来の本願は自分のためだと思えているのでしょうか?この文を書いている私自身、南無阿弥陀仏を唱える理由を自分以外に置きがちです。家が寺だから、伝統だから、そういった理由で手を合わせているときがあります。南無阿弥陀仏を本当に自分のためと思えた時に、阿弥陀如来の救い感謝できるのかもしれません。by 若院

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