文明3年(1471年)ごろ、蓮如上人が吉崎にて熱心に布教されていた折、山中黒谷の城主、冨樫政昭が数々の騒動を取り沈めたため、蓮如さまは大層喜ばれたと言い伝えられています。以後、たびたび山中黒谷城に足を運ばれ、城主政昭の庵に泊まって山中の湯でしばし心身を休められたということでございます。
文明5年(1473年)9月の入湯の折、、政明は真宗の名体を問うたところ、蓮如様はその答えとして宗名の文を書き残されました。それが一帖目第十五通「山中湯治の御文」であり、当寺に今も残されています。(以前は一般公開してましたが、現在は大変痛んでおり修復を検討中のため一般には公開していません)
政昭は蓮如の教えを受けて弟子となり、入道政念と号し、現在の燈明寺を創立、当事の開祖となりました。